安中市まちづくり ワンワンチーム

「安中市の現在と未来を考える会」 【安中市まちづくりワンワンチーム】

第6回住民連続シンポジュウム  質疑応答・討論

 

第6回 住民連続シンポジュウム

・主催 安中市まちづくりワンワンチーム 
・日時 2020.10.18(日) ・場所 安中市勤労者会館松井田館
・テーマ【文教都市安中の再生と創造を願う市庁舎建設への一提案】
・提案者 宇佐見 義尚 氏 (板垣與一記念館 館長)
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・本シンポジュウムは、「地域住民のための真に理想的な市庁舎とは何か」について自分たちで考え、話し合う場です。
・ECO-フレンドリー広場 同時開催
  同日、同会場において季節野菜を含む日用品交換会を開催‼ 
 「もったいない精神」とECOな暮らしの広場です。
  日用雑貨・食材を活用しましょう。
  自由にご参加ください。

・今後の予定 全10回の連続住民シンポジウムを予定。
 第7回以降、講師公募、市民懇談会委員(交渉予定)、
 市議会検討委員会委員(交渉予定)茂木英子市長(交渉予定)。
 また、あわせて広く安中市民からの市庁舎の在り方についての
 提案(ご意見を含む)を公募し、録画収録の形で
 順次公表(プレスリリース・SNS・ユーチューブ)していきます。

・お問い合わせ、ご意見はこちらへ。
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安中市まちづくりワンワンチーム  
 吉永真(090-8475-3804) nonohana120@gmail.com

・市庁舎建設を考える市民の会    
 小川光(080-6704-1388) ogawa999@outlook.jp

安中市まちづくり研究会    
 宇佐見義尚(090-3819-4770) usamiyoshinao@aol.com
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FaceBookページ→https://www.facebook.com/annakawanwan/
ブログ →https://annakawanwan.hatenablog.com/
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#まちづくり#地域活性化#安中市#社会貢献

 

 -----------------------------ここより文字起こし↓↓↓

 

吉永)
あの、先生が仰ったこと、もうちょっと詳しく知りたいっていう、
質疑の時間です。もうちょっと、またハッキリさせたいっていう質疑の時を
持ちたいと思います。

質疑の後で、ご意見のある方は、また別の時を持ちますんで

最初、質問だけをお願いしたいと思います。
どうぞ 手を挙げて仰ってください。

名前を言って...。

はい、ちょっと立って マスク取っていいです。聴こえないからね、
後でね柴田さんたちが文字起こしをします。すいません。

 

堀)
さきほどの先生が仰ったアンケート、手を挙げましたよね。わたしたち。
あれは、何のための、なんに役立つものなのかちょっと疑問なんですが、
そのあとの纏めがちょっとハッキリしなかったような氣がするんですが
いかがでしょうか?

 

宇佐見)
あの、皆さんの関心のありどころを知りたかったんです。

 

堀)
それは、ここに集まっている人の関心のあり方、それで?

宇佐見)
それだけです、

 

堀)
あ、それだけですか。はい、わかりました。
どうも、失礼いたしました。

 

宇佐見)ありがとうございます。

 

吉永) はい、じゃ、桜井さん、どうぞ

 

桜井)
はい、あのさきほどのアンケートの6項目。私は全部目指して良いと思うんですよね。
是非、全部目指したいなぁ~っていうのが私の意見なんです。
何故、2つしか選ばれなくなって 非常に残念に思いました。
不可能ではないと思うんですよね。ええ。福祉のまち安中、子育てのまち安中
全部、キャッチフレーズは1つ、世の中には一つしか発信できないかもしれけれども、
全てにおいて代表的な市を目指してもいいんじゃないかなと私は思いました。
そんなところです。失礼いたしました。

 

宇佐見)
はい

 

吉永)
あの...ちょっと意見ぽかったんだけど。質疑だから。

 

桜井)
はい、わかりました。

 

吉永)
ごめんなさいね

 

宇佐見)質問じゃないですね?

 

桜井)
はい。

 

吉永)
今、ちょっとね、明確にしないとね。
質疑の時間 どうですか? では、質疑ですね?

 

桜井)
あの、宇佐見先生の考えの豊かさ。
ちょっとお聞きしたいなと思いました。

 

宇佐見)
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
良い質問だと思います。あの豊さとは何か?実は経済学の世界でも、30年前
40年前 常に問われて来てます。で、問われ続けるテーマなんです。

ですから、その時代によって、豊かさは違います、考え方が。だから私たちも
豊さとはなにか?ということをいつも問い続けるということ。これが大事なんですね。
「豊かさとはこうである」と、もう決めちゃってそれ以外のことは豊かさではないんだと
云う風に考えないで、流動的に状況によって変わってゆくもの。つまり、問い続けるということ。
が私たちの考える姿勢ですね。そこはお話ししたかった。

それから、教育も同じです。教育とは何か? というのを、常に問い続ける。
もう、決めちゃわないで。そういう姿勢ですね。それをお話し、したかったですね。。

 

桜井)
わかりました。ありがとうございました。

 

宇佐見)
はい。

 

吉永)
ワンワンチームも決めつけてないのでね。
籠らないでね。

そして、その考え方に根拠がなくて、突っ走ることに特に厳禁ですので
私たちは謙虚に人の話しを聴いて、まあ、中には、本当に嫌な人もいるけど
安中市長の話しを聴く。議員の話を聴く。そういうスタンスで居て
豊さの概念、みんな違うと思うんですよね。それをこう深めさせて戴きたい。
とても素晴らしい質問だと思います。

 

桜井)
ありがとうございます。

 

吉永)
さっきのはご意見ですね。
そういう、質疑ですので。よろしいですか?
なんでも、じゃあ。金井さん。

 

金井)
金井です。今日の色々な

 

吉永)
あ、すみません、マスクを取って あの、文字起こししますので
一時的にとって、あとは嵌めて

 

金井)
あ、そうですか。滑舌がよくないので。。。
あの、色々な多角的な面で、良く、まとめられていったような
プレゼンテーションだと思います。それで、一つちょっと氣になったのがですね。

あの、駅。駅を色々細かく設置してなるべく鉄道を使うようなやり方ですね。
あのこれは大分、参考になったんですが、 

なんと西松井田と東松井田がね 実際、位置的には
逆転しているような感じがして、これは、池袋もそうなんですね。
池袋も西武デパートは西口いや東口にあって、東武デパートは西口
まあ、しょうがないですよね。まあ、駅名をちょっと変えて貰れば 例えば、
あの、東松井田 東じゃないんですけれどもですから、たぶん五料とか多分あの辺に
作るだろうっと思うんですけれど、五料駅でもいい、と、
言うような工夫が必要かなあっと思ったんですけれども
表向きには表面的にはそんなとこですけれども、

まあ、
私がいわゆる安中市民になってからですね、まだ10数年しか経ってないんですよ。
私、転勤族だったものですからね。この安中市に来てからですね、先ず、1つ
感じたのはですね、市民がですね、政治に関心がない。無関心な人が多すぎると思うんですよね。。
熱いところがない。私、あの、新潟市とか仙台市に住みましたけれども、
もっと熱い人が一杯居たような氣がするんです。その点、あの、宇佐見先生、どう、お考えになってるのか
お聞きしたいなぁ~って思っているんですけれども、これ、多分、私が思うに、もう、要するに
市役所の職員が何十億円も使いこんじゃったとか、色々あって、そういうことに、なっちゃったのか
分かりませんけどね。ね、ちょっと、お聞きしたいなと思います。

 

宇佐見)

実は、私は25歳まで磯部の自宅から高崎の知的障碍者の施設に3年、

寝泊まりしながら
週に2回ほど家に帰る程度で25歳までコッチに居たんです。で、その後、
約、40年近くは東京におりまして時々帰るくらいで。まさに空白で。
で、2017年3月31日で定年退職になるんですね。今は丁度3年半ですけれども
コッチに完全に で、3年半こっちに移り住み24時間住むようになって、さまざまな熱い人と出会いました。
安中市に居ますね。それで、いろんな事情でそう思われることもあるかもしれませんけれども。
いらっしゃるとも思います。熱い人が。

あの決して、居ないということではないと思いますね。ただ、それが表になかなか出てこないって
云うのは、様々な原因が理由があると思うんです。諦めもあるでしょうし、前にやったけれども
懲りたから辞めたとか、様々なコトがあったでしょうけれども、要するに火が付けば、必ず
立ち上がる人たちに溢れていると云う風に思いますね。

その為の機会をね提供すればって言うので、板垣與一記念館は今、外に開いたオープンにした
色んなことをやろうとしてます。ま、子ども食堂もその一つです。

子ども食堂をやるようになって、板垣與一記念館そのものの時は、教え子とか或いは
学会関係の人たちが、年に、まあ、数回ぐらいしか来なかったんですけれども
子ども食堂、やるようになってから父兄やら近所の人たちが来るようになって
板垣與一ってどういう人ですか?って、訊いてくるわけです。

そうすると、そこで、色々な説明から始まって、ドンドン広がって行って、
今、大変な来客です。で、一応、金・土・日にオープンしているんですけれども
全部、私が居る時はいつでも良いよというカタチで、とにかくオープン。
開かれた施設。開かれた社会。それを目指しています。それもできるだけ、具体的に実践しようと思って。
来るもの拒まず、去る者は追わずと。で、とにかくいろんなモノを全部引き受けるものですから、
さすがに今飽和状態で、アップアップしてますけれども、まあ、時々、重複してね、迷惑を掛けるんですが

民生員もそうなんです、随分家族から反対されたんですけれども いや、折角来てくださるんだから
何かお役に立てればということで、去年の12月から民生員やってるんですけれども、
その為に、そのことで、子ども食堂が民生委員の方にも広がってきました。
今まで、民生委員の方は、子ども食堂は必ずしも賛成ではなかった。
ところが、賛成するようになってきて、お手伝いを戴けるようになった。

要するに、こちらがオープンにして、受け入れることをやっておりますと、
色々な方が来てくれますね。だから、金井さん 決して、悲観しなくて良いと思いますよ。安中市
優れた人材はいます。直ぐ、後ろに居ますし。時が来れば。答えになっているかどうか心配ですけれども、
やはり、その、この美しい山里をね、愛して、都会から移って来る方 何人かいますけれども。
素晴らしいとこでないでしょうか?そこで育った皆さんですから、きっと、今日の為に、力になってくれると
思います。

で、今回もね、安中市のその80年間、あと2000万、返し続けるなんて、こんな、これ、オフレコね
バカげたことをどうして、誰も、なんにも まあ、文句、云ってるんでしょうけど。 80年間ですよ。
今、生まれた子、80歳になるまで毎年2000万づつ返すっていうんですよ。
いくら、借りたものを返すのは当たり前だって言ってもね。これは、なんとかしないと
しょうがないんじゃないでしょうか? 

そもそもスタート地点でね。100万円をいやいや、100年間で
返すってこと自体がおかしかったんですけれども、そこには、いろんな話しがあって、いやいや、そのうちに
チャラにしますよ、なんて云う、密約もあったとかなかったとか、色々噂を聴くんですけれどもね、
いずれにせよ、異常です。
この80年間を、2000万づつ、返すのと。

しかし、その土地開発公社は安中の市役所の職員さんが出向しているわけですから、
それ、なくしたってね、彼ら、生首、切られるわけじゃありませんし、
やっぱりそこをなんとかしないと、やっぱり税金ですよ、彼ら市民に迷惑掛けてませんなんて
いうけれども、よく、調べれてみれば、迷惑掛けてますよ。

市の職員が行っているんですから。給料も払っているんですから
そこへ行かないで市の仕事をやってくれればね、その分だけ私たちの市の行政は
色々なことがそ力がそこに行きますものん。...。

...っていうようなことを考えてたりしています。

 

吉永)
これは、オフレコにしますか? オフレコ。 

 

宇佐見)
今のオフレコね。オフレコでお願いします。

 

桜井)
あの、10年毎に群銀と話し合って、見直しことにはなってたんです。

宇佐見)
だけど、2回見直して、全然、変わらない。

 

桜井)
群銀が引かないですよね。そうですね。
群銀にも責任があるんですよ。

 

宇佐見)
そうですね。
彼らには彼らなりな言い分があるの。そして、彼らなりな責任を取ったというコトになってる。

だけど、結果を見ればね 向こう80年間も。まあ 悪夢のようですけどね。

 

吉永)
オフレコが続いていますけれども、他に質疑

 

宇佐見)
あ、水上先生 

 

水上)
ちょっと、遅くなっちゃったんですけども

 

宇佐見)
いやいや、もうねぇ~ 水上さんの講演が大絶賛で。今日、パクッて幾つか。。。ご紹介いたしました。

 

水上)
本当に早く、来たかったですよ。

 

宇佐見)
ありがとうございます。

 

吉永)
もう、水上先生へ質問が行きそうですが、一応、コチラの方で

 

 

吉永)
じゃ、あの、ちょっとね、金井さんもご自分のご意見として
ご自分の意見だけでも、また質疑をちょと入れてもいいので、あの、そっちへ移ります。
よろしいですか? はい。

先ほどの6つの案で、何かご意見がありましたら、仰ってくださってもいいです。
それをその具体的な方策は、こうしたらいいんじゃないかと、考えてから 仰って下さってもいいです?
はい、じゃ、浦野さん

 

浦野)
名前は、今、ご紹介頂いたので、浦野です。

 

吉永)
オープンで、名前もオープンで

 

浦野)
はい。あの、先生の提案で「読書屋」と云うのがありまして、空き家をあのオープンにしてっていうね。
やっぱり空き家が、いっぱいあるので、あの、安中の人口を増やす為には空き家を活用してというので、
今、コロナの影響で移住する方が多くなってきたりするんで、で、千葉が結構多いんですね。 それとか浜松
あるんですけど、あちらは海のもの美味しいかもしれないですけど地震の問題があるし、
群馬はそれっていう感じで上位に挙がって来ましたけど、、人気度が上がって上位にはあがってないけれども
ビリからの脱出してるんですけれども、もっとアピールして人口を増やすような考え方をしてゆきたい。活性化というと

安中の谷津の支所の上に 2階、3階が空いているので、その上に電波塔を建ててその電波塔にFM安中を立ち上げて
若者のなんか活性化、色んなことがそこで経験したり 若者がデビューできるようなワクワクするようなことを、
私はしたらどうかな?って誰かが、そう云う仰って、電波塔が折角あるのになぁ~って言うんで。

 

吉永)
谷津庁舎ですね。谷津庁舎。

 

浦野)
谷津庁舎ね、そこのとか、なかなか 1時間に4本
信越線、無理だったら1時間に2本だけでも良いから、今、1時間に一本あるかないかぐらいだから
今度湘南ラインを是非 横川まで引いて戴いて、そこからの観光っていうことで、で、私は
空き家っていうか読書屋? 読書屋さんも陰ながらカフェとか、いろんな農業支援?とか、そういうことで
やっていったらいいんじゃないかという意見です。

それから、やはり皆さん市政に、私もそうだったんですけど、本当に関心が無くって
こんなに良いお話しが聞けるのに、ねぇ~ まあ、録画撮りでいっぱい来ちゃうと困るんですけれども
YouTube観る人がちょっとだけなんで、どうにか皆さんに関心を持って戴きたいっていう、それを
宇佐見先生の提案は、今、どう思っているのかとか、 どうしたら皆さんに関心を持って戴くかっていうよりも
考えてみたいと思うんですけれども、宇佐見先生はどう思われますか?

 

宇佐見)
あのね、最初はですねこの連続シンポジュウムを、10人から20人、20人から30人、40人、50人と増えて
第6回はもう100人を超えるっていうような夢を描いてました。でも、現実は
そんな甘くありませんでした。

今、ザッと20人以下が続いてます。ここんところね。
だけどYouTubeという新しい手段を使って全国に流してますのでこれは必ず残ると思いますね。

だから、人を集めるって大変な事ですよ。そこはもう承知の上、想定内で。
ただ、これを如何に使うか、無駄にしないかということを私たちが今、一生懸命考えて
更に、どう続けるか?というところ、1つの提案としてはワンワンチームの発展的な解消って言いますかね。
そして、新しい実行するための専門家チームを作る必要がある。今日、丁度、水上さん、来てくれたんで
水上さんなんかにチーフになって戴ければ最高かと思いますけれども。後でまた、ご相談にあがりますが
あの、折角のこのワンワンチームの提言をそのままにしないで、これ、ただ、単純に上げただけじゃ
ああ、そうですかで終わってしまいますので、それをどう実行に移させるかということの、より高度な専門家チームを
是非、立ち上げたいと思います。その人選その他などこれから相談しますけど、良いでしょうか?


あの、人が一人でも来てくださるのは、ありがたいことですね。
決してね、少ないからって言うことじゃなくて

あの上野の末広亭など落語の寄席へ行きますとね、
今はコロナでないんですけど、お客さんが3人か4人くらいしか
入ってなくて、その落語が色々愚痴るんですけれども、決して、1人、2人でも
ありがたいということですね。今日は本当に、来てくださってありがとうございます。

 

吉永)
もうちょっと良いですか? もうちょっと意見、

 

宇佐見)
折角、水上さんが来てくれたから、水上さんを囲んで...。

 

金沢)
えっと前回、水上さんの時、ちょっと出られなくてYouTubeで拝見したんですけど
えーー、安中高校の跡地、耐震工事もできて なんか使えるっていうことで、
えっと何年か前に岡田市長の時にね、選挙が近いんで公民館ごとに岡田さんが
廻って来て、そこに集まって夜、市長と話しをするって時に、あの、全くみんな
見ず知らずの人たちですけど集まったら、あそこをね、是非、老人ホームにして欲しいって
意見があったんですよね。あと重度の障碍者の人は、今、安中市の中に入れる所ががなくて
榛名の方とかに行ってるわけですよね、だから、市の中にそういう施設がないので、えっと
何階かをそういう障害者の方をそこへ住めて、あとは老人に開放してゆく。もう、一緒に作って
そこに、障害者の人がカフェとかね、そういう就労とかそういうのがあれば、障害者の雇用も
生み出せるし、あとそのヘルパーさんとかそういう人の雇用も生み出せますよね。
でいうことが、みんなで話しあえて、すごく良い会だったので全員に、岡田市長、こんな良いコトを
話し合えたので是非、安中の広報に載せてくださいっていうんで、満場一致で決まったんですよ。
私も、何時載るのかな?って愉しみにしてたら、その年の暮れに一行何か、
「金沢朋子さん、あなたの意見はこうでした」というのが来ただけで、誤魔化されちゃったんですよね。
なんですが、この間YouTubeで拝見して、もしあそこが耐震と補強ができれば、そういうことも可能だし
あと、中山道4宿場資料館とかね、そういう事も可能なもんですよね。本当に、そういうなんというか
私たち、これからどんどん老いて行ってまた場合によっては障害者になるわけだから、みんな必然的に
進行方向、そっちなわけでそういう弱者を本当に町の中に囲んで行くまちって、スゴイいいイメージでね。
みんな安心して老いられるって思うんですよね。

例えば、障害のある子ができちゃった。方もね、安中市に住んで良かったって思えるような
そういう町にすればすごく町のイメージが良いし。私たち納税者もそういうものに使ってもられるなら
喜んで税金、納めたいって気持ちになれますよね。私はその、この間の講演を拝見して
ああ、そういう事が可能なんだっていう風に、すごく思い やっぱりまちづくりっていうことを考えないと
市庁舎建設だけをどこに建てる、いくらで建てるっていうね、それだけのお金の問題じゃないんだなっていうことを凄く感じました。
そういうことです。

 

吉永)
あとどうですか?

ちょっといい?
司会者だけど、いいですか?

 

宇佐見)
ええ

 

吉永)あの、私は安中市に住むことにした1つの大きな理由は私の家に全国から沢山の知り合いを集めてそこで沢山の本がありまして、また、仲間たちが本を寄贈してくれるってことになって、家中ほんだらけにして
勿論私の環境の問題の本も今かなりあるんですけれども、キリスト教関係の本もあるんで(私、牧師なもので) 
そういう人たちをみんな家に泊めてそして、一週間くらいその人たちの悩みを聴いて、問題解決して帰してゆくっていう
そういう実は構想があるんですね。

実はあるんです、アメリカっていうかスイス特にスイスは盛んなんです。スイスにいってみんな元気になってそしてみんな
日本の各地で活躍している人たちはみんなスイスで一週間泊まり込みで。ありとあらゆることを学んで帰って来て、そして
企業であり、いろんな学校の教師であり、もう、いろんなところで活躍しているその再生のそういう宿泊施設っていうのが、あるんですね。


そういうの将来的にはやろうと、身体が動かなくなってきたら、今、身体が動いている間は竹林の整備やりますけれども、
身体が動かなくなってきたら、まあ、再生の時 しかも一週間が最低でね っていうか、いろんなことを教えて
そして帰ってもらう。まあ、そういうことを希望しています。独特な名前があるんですけれどもそれをやろうかな?って思っています。

皆さんも是非、将来を終わるまで、まあ、何時終わるのかわかりませんけれど、なるべく元気なうちは竹林整備をします。
そして動けなくなったらもう徹底的に私が持っている今までの経験から是非、神的なカウンセリングですよね
いろんな意味で あの、悩んじゃっている人たちをサポートしてゆく。そういう宿泊施設 自分の家で泊まれるところがある。
そういう風にして 皆さんもぜひ、人の再生を人そのものの再生をみなさんもビジョンとして持って戴いて、
私の場合は10年、良くて10年やろうかな。竹林整備は5年~7年。後は生きてる限り、やろうかなって思ってます。

今は、若いように見えるかもしれませんけど、70歳なんですよ。
85くらいまでは、かなりやれるんじゃないかな、もし、それ以上行くっていったら、
先生はい95まで、あれ、96だ。95まで生きたいっていう まあ、神様にお祈りしますけれど、
そこまでやりたいんだそうです。読書屋をね。或いは、空き地、空地でいろんなところで先生のビジョンのアレを
実現してくれると思いますけれど、私もこれから高齢化ですから、

車で道路を走って行くって言う、駐車場がある所に行くっていうじゃなくて、
あの、駅の前で、読書屋をやったらいいんじゃないかと思ってます。
それは私の中になるビジョンですね。

駅前でやる。そうすると、全国から来て、それで、車に乗れない人も来て、いろんな事を学んで、美味しい喫茶店があって
美味しいレストランがあって、いろんなカウンセリングの場所があって そして、元気になって東京に帰るとか、どっかに帰ってゆく。
そういう安中の駅の近くに、そういう再生、人を再生する元氣にするそういう場所を創って行ったらいいんじゃないか。
物凄い勢いで高齢化が来ますので、電車で来るしかない、駅前にある。ま、そういうビジョンも考えてます。

そういうビジョンを皆さん、これからを言ってください。
そして自分の生涯を金儲けでやることを辞めて、金儲けの、あの、具体的な名前を言っちゃっていいのかわかりません。
金儲けを辞めたところが結構ね、すごく繁栄してますね。

安中にもそのお菓子屋さんがあるんですけれども、金儲け主義じゃないところが、結構、儲かっているんですね。
そういう意見です。ごめんなさい、途中で。

 

吉永)
みなさん、時間が無くなっちゃったもんですから
あと一人 あ

 

桜井)
すみません、度々

あの、読書の町安中市、教育の町安中市、非常に大賛成で、本当に安中市、空き家が沢山あるんで
読書ができて、 スペースがところどころにあったら素晴らしいと思うんです。
 文教都市、で、新島は中高はあるんですよ。どうして大学がないのかって。
よく言われます。だから

 

吉永)
高崎に取られちゃう

 

桜井)
あっちは短大ですよね、こっちは4年制が安中にあったら素晴らしいなぁ~って、思うんですよねぇ!!
そしたら、若者が闊歩するまち安中市が、私は夢なんです。

ある時、安中市を若者が歩いて居たんですよ。20代ちょっとの。
私、それ見て衝撃的で、安中のまちこんな若者が歩いてたの初めて見たと思って、
だから、大学ができたら若者が町中に溢れて、色んなアイディアを出して、
安中市にも貢献してくれて、夢は本当に安中に、新島大学でしょうね、一番はね近いからね

 

吉永)

読書都市ですし、キリスト教の町安中市ですので、新島大学

藪化した竹林の整理したら、自然散策路を作ります。それでドングリをやったりね。 全て
私、今、実は一番大きな力を入れてやっているのは、緑のぐんまインタープリター協会です。
責任を持っているんで...。ですから、
子どもたちにね、かつて在ったんですって。「里山探検隊」が
それで、山の中でさまざまな自然体験をさせる、そういう学校だった。
それが、無くなっちゃったんですって。それの復活も目論んでおります。

 

桜井)

あの、それが人間を育む、豊かな教育の最先端だと私、おもうんですよね。

 

吉永)
そうです。その通りです。

 

桜井)
本当に、そう、思います。

 

吉永)
自然体験をしないとね、感性が開かないんです。

 

桜井)
そうなんですよ。自然は本当に大事ですよね。

 

吉永)
ゲームだけじゃ駄目ですね。アニメだけじゃなくて。自然体験ができる安中のまちにしたいですね。

 

桜井)

 

金井)
すいません、まだ、一個あるんですが

 

吉永)
はい、じゃ、最後ね・

 

金井)
はい

さきほど、宇佐見先生のプレゼンの中でですね。
また、鉄道のことで、ちょっと拘って申し訳ないんですけれども、
今、実はですね、あの、群馬県のライバル県だと思います、栃木県宇都宮市
人口50万近くありますけれども、床の低い電車を走らせようって東西方向にですね、 その建設をしてます。
もう少しでできると思います。で、要するに、何を言いたいかっていうと、これ、高崎市の関係も
あるんでしょうけれど、高崎市はいろんな建物を建てたり、県で建てるのはいいんですけれど、
体育館とか建てていますけれど、周辺の町を考えると、やっぱり、東西方向にね、鉄道の支沿線があるわけですから
一杯、人間が移動できるようなね、〇〇には、ならないかもしれないですれどね、やっぱり、そういうアイディア
隣のまちとね、連立してやる必要があるんじゃないかなと思います。このままでゆくと、栃木県に負けちゃいます。
宇都宮に負けちゃいます。

 

宇佐見)
賛成で。そういう話しは水上さんとあとで致しましょう。で、最後によろしいですか?
実は、最近ですね、あの、財団法人で群馬県長寿社会づくり財団 というのがあります。そこから取材を受けました。
それで、要するに、ジジババ子ども食堂って言うんで、ジジババに焦点を当てて多分来られたと思うんですけど。
ジジババの生き方ね。それについて随分聞かれたんです。私は定年後の自分の生活っていうことで、
随分考えまして、それは自分の人生のファイナルステージだから、今までの総まとめをやるんだ。だから、
カラオケとか、勿論、旅をしたり遊び歩くことも勿論、それは良いことですけれど、
それとは別に、自分が今まで定年までやってきたコトを総仕上げする期間としての、あの、ファイナルステージ。
人生のそういう風に考えているんだということを話しましたら、大変、あの、共感をしてくれましてね
で、100年カレンダーっていうのを戴いたんです。1947年生まれなんですけれども、1946年から100年間
のカレンダーがこれくらい大きな一枚あるんです。それを私は貼りつけました、自分の家の中に。

これを眺めて、自分の今までの73年間のカレンダーを見てですね、そして、1947年に〇をつけて
96歳までの2046年、〇をつけまして、ここが自分の最後の歳だろうなぁ~っていうのを
毎日、眺めている。そうしますとね、ちょっと違った心持ちになりましたね。

自分の人生が、全部、そこに映っているんですよ。
で、毎日々、それを眺めているとね、ああ、自分はこういうことなんだということで、是非、100年カレンダーをお奨めいたします。
以上です。

つまり、若者が来るのは良いのよ。だけど、私たちが、シニアが若返れば良いんです。青年のように。
若者のように。あの、青春をね、でも私の恩師は、生涯青春塾っていうのをはじめたんですけれども
ご近所のお年寄りを集めて、青春を取り戻そうと、いろんな勉強会をしました。
その延長が、ジジババ子ども食堂の実は大人食堂になったんです。今は、食事会ができないんですけれどね。

それで、読書屋に変更になったんですけれどね。まあ、ドンドンドンドン、状況に応じてさまざまなコトを
積極的に私たちシニアは生きたらいいですね。はい。

 

吉永)
最後に一言 私も先生が少年に戻って勉強をし続けているので、スゴイ、あの、共感して先生に倣って、
私も、少年、中学生に戻って、あの、ちょっとね不良だったものですから、また、勉強し直してですね
全部、安中のために尽くしてゆきたいと思います。

拍手‼